ヨーロッパ、つれづれなるままに

2014年からヨーロッパのあちらこちらで生活してきた記録です。

旅はどこから始まったのか

 職業柄色々な場所を訪ねているが、そもそも仕事はさておき旅をすることが好きだ。それは友人と母の影響であろう。大学生で留学していた頃、友人とイギリス国内やオーストリア、ハンガリー、フランスなどを旅行した。留学を終える間際には母とフランスのシャルル・ド・ゴール空港で待ち合わせ、パリとイタリアの主な町を訪れた。その際初めて使ったのが格安航空会社のeasyJet及びJet2.comだ。欧州ではアイルランド籍のRyanairをはじめ、格安航空会社が当時既にかなり利用されていた。2003年に留学したときは1年オープンの航空券を知り合いの旅行代理店に頼んで購入したし(BAの成田-ヒースロー往復航空券が一番安くて当時30万円くらいだったはず。オープンだから高かった…)、それ以前の家族旅行でも旅行代理店を使用していたので、インターネットで航空券を買えることがまず新鮮な経験だった。格安航空会社の航空券を旅行の2ヶ月前には予約していたのだと思うが、それにしてもベネツィアからイギリスのリーズ(留学していた町♪)までの航空券が空港税などを入れて一人20ポンドほどだったので考えられない安さだ。飛行機が本当に飛ぶのかと心配した覚えがある。

 

 LCCの話はさておき、その2004年5月の旅行の話。母の希望でイタリア旅行にパリだけが付け足された10日間ほどの二人旅。当時Googleマップなどはもちろんなく、古風な紙の地図を頼りにヨーロッパの町を歩くのは、方向音痴のわたしには目をつぶって進む方向を決めるようなものだった。何度道に迷い、何度母と喧嘩し、何度ふてくされたか。悔しいのはそんなときに道を尋ねる人を選ぶ母のセンスだ。パリでその日泊まるホテルの場所を探して彷徨っていたとき、母が「あの人なら英語わかるんじゃない?」と言って指名したのはとてもハンサムなフランス人ビジネスマンだった。当然ここで英語で話しかけるのはわたし。そして母の選択は大体正しく、みんな英語も話せるし親切に教えてくれる。「格好良かったからあの人にしたんでしょ」というと「英語話せそうだったからだよ。でも可名が話している間見てたけど本当に素敵な人だったね。」ずるい。わたしもまじまじとイケメンを見たかった。一度道を聞くのが嫌になって「自分で聞いてよ!」と母にキレたことがあった。「いいよ。聞いてみるから。」と母は地元の人に「May I help you?」と話しかけそうになっていた。がっくり。喧嘩するのも笑って仲直りするのも旅の中だからこそ印象に残るのかもしれない。

 

 イタリアでも何人もの人に助けられた。フィレンツェで通りかかった男性に道を聞いたときは行き先の名前の発音まで指導してくれた。ありがとう。きっと今のイタリア語学習に役立っています。逆にベネツィアのレストランではイタリア人ウェイターに日本語を教えた。彼はあの日を最後にそのレストランを辞めるのだと言っていたが今どうしているのだろう。教えた「まいうー!」は覚えているだろうか。

 

 旅はどこから始まったのか。きっとこのイタリア旅行だったのだと今になって思う。色々な人に助けられ、助けを求めることが自然になり、言葉は通じなくてもコミュニケーションは成り立つのだと知った。留学して英語を習得しただけでは、きっと得られなかった異文化を学ぶ手段。そのヒントが旅にはある。イタリアで働いているわたし自身、これは旅の一部に過ぎないのではないかと思うことがある。「人生という旅」というと硬すぎるしくさいけれど、長い長い旅をしているように思えてならない。始まりはどこで、終わりはどこか。はっきりさせなくてもいい。道は途切れずに続いていく。